PBWは変わった

 うーん、今日日はそれを「脳内当てゲーム」と捉えるのか……。

 先日、オフ会で他のプレイヤーと話していたときのことです。

 昔々、私が『無限のファンタジア』を遊んでいた頃、あることで有名なマスターがいました。それは、彼の出す依頼は非常にクリアが難しいということ。何度も高難度依頼をクリアしてきたベテランプレイヤーでさえ、失敗することもしばしばでした。
 ましてそのマスターにつきっきりでミッションクリアするキャンペーンが組まれたときには、その暴力的で鬼のような高難度ぶりに皆が戦慄したものです(無事クリアできて参加者の達成感も格別だったのですが)。

 しかしこの話をしたら、そのプレイヤーはこう言いました。

「それってつまり『俺の脳内当ててみろ』というクイズをやらされてるってことですか」

 このときの印象はとても強烈でした。自分の「常識」と彼の「常識」との違いを見せつけられた思いがしたからです。その場では適当に「まあ、数字やパラメータで見えるようになっていた方が納得できますよね」と話を合わせていました(実際、近年のPBWはその方向で作られています)が、もととなる体験や「常識」が違うと、同じことを見聞きしていても見えている世界が全く違うのだと。

 余談ですが、『無限のファンタジア』には「古い」時代のRPGの名残がまだあったように思います。
 全てを数字やパラメータで表現することはできない(現実を力業で再現するのは無理がある)から、世界観とキャラクター設定を大まかなルールとして使う。プレイヤーの「どうしたいか?」に対し、マスターは上記の設定を「常識」や「判例」として成否を判断する。
 世界観もキャラクター設定もあいまいです。予想できる部分も予想できない部分もあり、その境目は不明確ですが、それによって、何が起きるかわからないけれどゲームになっているという、相反する要素を両立させています。
 だからプレイングで「こんなアビリティやアイテムの使い方をしてみたい」とあれこれ考えるのが楽しかったし、相談にも熱が入ったものです。
 知力の限りを尽して真剣勝負に挑み、勝利をもぎとったときの喜びは格別でした。
 しかしこのような遊び方も善し悪し。時間を食うし、それなりに「慣れ」が必要だし、相談の場で激しい言い争いになってしまうこともしばしばありました。またマスターの負担も大きいし、成否判定に振れ幅があるので、納得できなかったプレイヤーもいたことでしょう。
 PBWもコンピュータRPGのように*1数字とパラメータが優先される方向に向かっていったのは、寂しくはありますが無理からぬことでもあったと思います。

*1:あくまで和製ゲームの話。海外製ゲーム(『Ghost of Tsushima』とか)は少々事情が異なります